千葉の高校野球に一時代を築いた名将がこの世を去りました。
習志野高校の甲子園優勝投手にして優勝監督、石井好博さん、11月26日、成田市内の野球教室に解説者として招かれた際、急に体調を崩され、市内の病院に搬送されたが間もなく息を引き取られたとのこと。
74歳、現代ではご高齢とは言えないかもしれません。
あっけなさすぎる最期でしたね。謹んでご冥福をお祈りいたします。
千葉のチームが甲子園を制したのは3度、そのうち2度が習志野(1967・1975)です。
石井さん、67年はエース、75年は監督でしたから、まさしくミスター習志野と言うべき県高校野球を象徴するような存在でした。
75年の優勝、私はまだ小学生でしたが、記憶にははっきりと残っています。
後のスワローズ監督の小川淳司さんがエース、初戦から決勝までほぼ一人で投げぬかれていました。
今だったら虐待だ酷使だと騒がれるでしょうが、当時のエースは皆そんな感じでしたね。
疲労困憊になりながらも必死で踏ん張る小川投手を懸命に盛り立てる野手陣、前年に甲子園を制した銚子商は土屋正勝さんや篠塚利夫さんといった高校トップレベルの選手を擁していましたが、習志野はユニフォームを泥まみれにしながら全員で1点を取りに行くねちっこさが持ち味のチームでした。
優勝を決めた下山田さんのライトに抜けるサヨナラ打は、今でも脳裏に浮かべることができます。
あの時の石井監督、まだ26歳だったんですよね。
怖そうな青年監督でした(小川さんの述懐では、やっぱり怖かったみたいです・・・)
ただ、あの粘り強く接戦にやたらと強い習志野野球は、現在でも後輩たちに受け継がれていますし、千葉球界に計り知れない影響を与えたと思います。
もし、千葉の野球殿堂があるとすれば、銚子商の斎藤一之さんとともにアマチュア代表として最初に入るべき方でした。
2018年のチバテレ高校野球特番では、すっかり表情が温和になられて、優し気な話し口で小川さんら愛弟子たちのことを語られていましたね。
まだまだお元気にご活躍いただきたかったのですが・・・
その2018年には銚子商の斎藤俊之さん(一之さんの息子さん)、2019年には拓大紅陵の小枝守さんが亡くなられて、今度は石井さん・・・
否応なしに時代の流れを感じさせられますが、石井監督の愛弟子の一人、小林徹監督率いる習志野高校野球部、来年の夏は石井さんの魂が乗り移ったかのような熱い戦いを見せてくれそうな気がします。
天国でも「レッツゴー習志野」を口ずさみながら、習高ナインの健闘を見守っていただいていると思います。
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