【E6-0M】パ・リーグを変えたのは誰か?

ゲーム自体はまったく語るべきところのないヘッポコ試合としか言いようがありません。
ハワード投手の軟投に翻弄され、チャンスらしいチャンスも作れず、ボス投手は日本の暑さにやられてるんですかね?
前回の横浜に続いて、序盤から身体が重そうでした。
それでも、どうにか5回3失点で凌いで辛うじでゲームは壊しませんでしたが、救援投手もピリッとせず、7・8回を跨いだ八木投手は59球も投げさせられて8回にはチャンスメーカーの小深田選手に一発を浴びるなど3失点。
まぁ、勝ちようのないゲームでしたね・・・

私はBS12の副音声、ビジター応援放送で見ていました。
今日は里崎氏、吉田アナのコンビに菊池さんという若い女性の人が加わっていましたね。

マリーンズサイドからすると、まったく見どころのない展開でしたから、あまりゲーム内容とは関係ない話が多くなっていました。
無理もないですね・・・

里崎氏のいつもながらの?(ファーム本拠地に決まった)君津は不便アピールと千葉県交通事情解説には辟易しますが(笑)
結構興味深い話題もありました。
吉田アナが昔(70~80年代)の川崎球場のうらぶれた雰囲気と、当時のパ・リーグの日陰リーグぶりを語りだし(このあたり、私も吉田さんと同年代なので良くわかります)、里崎氏がパ・リーグを変えた二人のことをコメントしていました。

その二人とは、現ファイターズ監督の新庄氏と2005年にマリーンズを優勝・日本一に導いたバレンタイン元監督のことなのですが、確かに二人ともファンサービスには熱心で北海道と千葉の球場でリピーターを増やしたことは間違いないと思います。

ただ、あの二人はかなり変革されてきたパ・リーグの最後の一押しをしてくれた人たちという感覚が私には強いですね。
私のようなオールドファンからすると、スポーツ新聞の一面になることもなく、全国区のスターもいなかったパ・リーグが変わるキッカケとなったのは、(吉田アナが言っていたように)まずプロ野球ニュースがダイジェストとは言えパ・リーグのゲームを映像で映してくれたこと。
あと、1988年の10.19と福岡ダイエーホークスの誕生ですかね。
今でも語り草になる10.19ですが、ダブルヘッダーであれだけ劇的な展開が連続するゲームなんて、後にも先にもありませんし、TV朝日の緊急生中継なんてのもありましたしね。
そして同じ年に産声をあげた福岡のホークスの成功が、パ・リーグが地方にばらけて全国展開を図っていく端緒になりました。

さらに言えば、90年代に忽然と現れた二人のスーパースター。
野茂氏とイチロー氏の出現も大きかった。
トルネード投法も振り子打法も、それまで誰も見たこともないようなスタイルでしたからね。
特にイチロー氏、消化ゲームの東京でのファイターズ戦に4万人を集めたことがありました。
彼一人を見るためだけに、パ・リーグの消化ゲームに数万人なんて、それまではありえないことでした。
プロ野球の国民的なスターは巨人以外からは出ない、というそれまでの常識?を覆して余りあるインパクトでした。
二人がMLBで実績を残したことも、パ・リーグの方がレベルの高い本格的な野球をしている、という印象を強めることになりましたね。

まぁ、特定の誰かが一変させたというより、そういった積み重ねがあっての今の隆盛ということだと思っています。

どうも里崎氏がビジター応援副音声で出るときは、負けてばかりのような気がするのですが(笑)
話は面白かったですね。
ってか、まったく面白くないゲームをトークで盛り上げて、退屈しない3時間にしてくれたのだから、そこは感謝です。
彼自身もパ・リーグの隆盛に貢献した功労者の一人ですね。
(トーク力だけでなく、選手のころも思い切りのいい打撃で劇的な勝利を何度も呼び込んで、マリンの観客を沸かせました)

私も、あまりにつまらないゲームだったので、関係のない昔話ばかりになってしまいました。
ジジィの戯言だと思ってご勘弁を(笑)

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