今日のニュースは、コロナウィルスの件を除けば、この話題一色でしたね。
先月の金田正一さんに続き、偉大な野球人がまた一人、この世を去ってしまいました。
野村克也さん・・・心からご冥福をお祈りいたします。
選手としてはキャッチャーという過酷なポジションを努めながら、戦後初の三冠王を獲得。通算安打数、本塁打数、打点数はいずれも歴代2位。
監督としては、4チームを率いて歴代5人目の通算1500勝を達成。恐らく最後になるであろうプレーイングマネージャーとしての優勝監督でもありました。
また、解説者としてもノムラスコープをはじめとした斬新なアイデアの数々で知られた存在であり、野球関係の著書では幾多のベストセラーを飛ばした方でもあります。
ご本人は、自身を不器用と評されていましたが、こと野球に関しては、これほど多才な方も他に思い浮かばないように思います。
私も野村さんの著書は何冊か読ませていただきましたし、江本さんと江夏さんが野村さんについて語られている対談も目にしました。
透けて見えるのは、「ID野球」などと論理性を前面に押し出しているように見えて、実際は他者(選手時代はチームメイト、監督時代は選手)とのコミュニケーションをとても重視されている方だということです。
江本さんとの長髪論争や、江夏さんをリリーフ投手に転向させる時の話など、選手の納得感をとても大切にされていらしたようにお見受けしました。
むしろ、野村さんの師匠であり「親分」と呼ばれていた鶴岡一人さんの方が原理・原則型の監督だったかもしれません。
野村さんが鶴岡さんと関係が良くなかったことは、数多に知れ渡っており、野村さん自身、鶴岡さんを精神野球の権化のように語っておられました。
ただ、球界で初めてスコアラー制度を採用し、いち早く二軍の強化に乗り出したのは50年代の鶴岡監督です。
これまでの球史の中でも先進性という面では、屈指の指導者だったのではないでしょうか?
私が思うに、鶴岡さんはGM的な、チームの骨格や体制を造るのに長けている監督で、野村さんのように必ずしもコミュニケーション能力に優れた方ではなかったように思えます。
お二人の間に大きなミゾが出来てしまったのも、コミュニケーションや納得感を求めていた野村さんに対し、鶴岡さんは監督として選手の立場に降りる必要はないと思われていたのが原因であったような気がします。
もちろん、私がお二人と話したことがあるわけではありませんし、偉大な野球人であったお二人に失礼千万な推測であるかもしれません。
ただ、野村さんがご自身の野球人生を振り返られた際、最大の痛恨事はやはり鶴岡さんとの関係性になるように思います。
どうか天国では互いの誤解を解いて、打ち解けて想い出話に花を咲かせてほしいですね。