【チバテレ】白球はつながる~房総が育んだ球児達の歴史~

いやぁ、懐かしい。
今日8時からの番組だったのですが、総武線が人身事故で遅れたので見られるかヒヤヒヤしました(笑)

習志野の石井好博さん、すっかり総白髪の好々爺になりましたね。
私も年をとるはずです(笑)
全国制覇した当時は彼もまだ20代、血気盛んな恐そうな監督でした。

その習志野の前に立ちはだかったのが斎藤監督率いる銚子商業、昭和40年代から50年代にかけて、両校の県予選での対決はいつも大接戦で最後までどちらが甲子園に行くか、ハラハラさせられるゲームばかりでした。

今日の番組では、銚子商業OBでは木樽さん、土屋さん、篠塚さん、また斎藤監督の息子さんの俊之さん、習志野OBでは掛布さん、小川スワローズ監督、マリーンズ福浦選手がそれぞれ宿命のライバルへの思いを語っていて、両校が房総高校野球史に残した足跡の大きさをあらためて再認識させられました。

ただ、当時は両校以外にも県内には、成東、千葉商、市銚子、印旛、我孫子・・・強い公立校が沢山ありましたね。
何も私立校が甲子園に出てはいけないと言うつもりはありませんが、県内在住者としては、やっぱり地元の子が地元の高校へ進んで晴れ舞台で活躍してもらうのが嬉しいですね。
今や、千葉県どころか関東でも、習志野が公立校唯一の砦といった感じです。

私は習志野が夏の甲子園で2度目の優勝を果たしたとき、まだ小学6年生でしたが、優勝パレードを見に津田沼駅前まで行ったのは良く覚えています。
とにかく凄い人出で、オープンカーが通るのもやっとでしたが、何とかキャプテンの福田選手と握手できました。
福田さんや、決勝戦でサヨナラ打を打った下山田さん、サヨナラホームインの越智さん、キャッチャーの神子さん・・・皆さんまだ地元に在住されているのですかね?

野球とは関係ありませんが、当時はまだ北口のパルコはなくて、確か三宝というデパート?がありました。よくざるそばを食べた想い出があります。
余計な話ですみません。
でもチバテレさん、懐かしい番組をありがとう!!

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